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福岡市中央区薬院、鍼灸専門・高木治療院のホームページです。

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〒810-0022 福岡市中央区薬院1-6-5
ホワイティ薬院302号

高木の発病当時の状況

若い頃の苦労・・・ですか。


 私は当時、訳あって京都の亀岡市という所に住み、毎日大阪市にある鍼灸院に修行のため通勤していた期間が一年と少しあった。後に大阪市に引越しする事が出来て、寝不足は若干解消される事となったのだが。

 当時の生活は、早朝4:40起床、前日の晩に炊飯ジャーのタイマーをセットしておいた炊き上がりの白飯2合、1合分で朝飯用の大きな梅干オニギリ一つを作り、もう1合を昼飯用として梅干1つと共に容器に詰め、(ちなみに昼食のおかずは勤務先に納豆を常備してあった)、顔を洗い着替え身支度を整えて5:10に家を出る。片道1.5km先にある「JR山陰線亀岡駅始発の京都駅行き5:38発」に乗るために小走りで亀岡駅に向かう。出発数分前の電車に乗り込むと座席に座りすぐ仮眠。電車が動き出し、6:00に目を覚まし列車の先頭車両のドア前にスタンバイ。電車内6:04頃に京都駅の到着、ドアが開くと同時に、全力疾走で東海道山陽本線の網干行き快速電車のホームを目指す。距離にして100m以上、エスカレーターを一段飛ばしで駆け上がり、快速電車の待つホームに一段飛ばしで駆け降りる。なぜ全力疾走でホームを目指すのかというと、それは次に乗る「JR東海道本線網干行き快速電車6:11発」の座って寝るための座席を確保するためで、ここで座れるかどうかでその日の体調が左右される。6:40にJR新大阪駅に到着。隣のホームの「普通電車尼崎行き」に乗り換え、6:51にJR塚本駅に到着。 JR塚本駅から歩いて間もなく、6:55に修行先に鍼灸院に到着。

 修行先の鍼灸院では、当時私を含め勉強のために働いていた助手は4名、助手の中心になっていた方が家の都合で辞めることになり、その欠員補充のような形で運良く助手に入れて頂いた私は4名中この鍼灸院では一番新米でいて、鍼灸学校を卒業して鍼灸師免許を得たのは一番先輩という立場。この鍼灸院の中では、免許をまだ持っていない鍼灸学生が私の先輩。師匠は常々「あんた鍼灸師としては助手の子らの中で一応先輩なんやから、いづれあんたが中心になってしっかりせなあかんのや。人の3倍努力せんとあかん。」と当時皆の足を引っ張ってばかりの私を指導して下さった。教育の厳しい鍼灸院で、今となっては真剣に育てて下さった事に心の底から感謝しているが、正直当時はそう思えなかったし、そう思おうとする気持ちはあったが心にゆとりが微塵も無かった。

 一日の仕事・勉強が終わり、また電車に長々と乗りついで家に到着するのが、一番早くて23:00頃、翌日の起床時間は4:40、その間およそ5時間半。寝るまでに最低限やらなければならない事は、シャワーをあびて明日の弁当用の米をとぎ、晩御飯を食べる事で、これを40分以内に済ませて即就寝。気を失うように寝る毎日だった。

 休日は事実上月に2日程。休みの日は掃除と洗濯と食料の買出し、散髪などで潰れた。遊びやリフレッシュする機会は盆と正月に3日間ほどのみ。

 話がそれてしまったが、6:55に鍼灸院に到着するような生活を送っていたのは、そういう規則であったからではなく、先輩3人を追い抜き、助手の中で一番しっかりした助手になるため。誰よりも早く鍼灸院に到着して、予約ノートをチェックして来院される患者さんのカルテを全て取り出し、今までの症状の経過や、どのような治療がなされてきたかを全て手帳に書き出し、オニギリ片手に朝の掃除に手間のかかる所から真っ先に取り掛かる。先輩方が8時過ぎに出勤してくる頃には、8割方準備が整っている状態にした。

 師匠の言葉に習い、人の3倍とまではいかなかったが多分自分なりに死ぬ気で努力したと思うが、とにかくストレスや睡眠不足が蓄積していたようで、いつのまにか身体的にも精神的にも限界がきていたようで、発症に至ったと思われる。


 そして、ある月曜日の朝に異変が起こった。

 3日間連続で欠勤してしまったのだが、3日とも同じ時間に起床し、通勤電車に乗り込んでいる。

 欠勤1日目 いつものように電車で京都駅に到着し、乗り換え電車のホームに走り出して数歩で、突然何故だか出勤なんてどうでもよくなったような気分になって走るのを止め、そのまま折り返しの電車に乗り込み、家に帰ってしまった。朝9時前に鍼灸院に電話して、休ませて下さいと電話。身体は元気だったし、何故休まなければならなかったか自分でも判らないままだった。

 欠勤2日目 いつものように電車で鍼灸院に向かう。昨日とは違いこの日は鍼灸院に到着。掃除を始めて10分くらいすると、突然この場所に居るのが辛くて仕方が無い気持ちになり、このままこの場所に居れば、先輩達や師匠も院に到着して、仕事が始まってしまうという事が何だか急に恐ろしくなった。まだ私以外に誰も来ていないので、今なら逃げ出す事が出来る!と思って、掃除道具を全て片付けて、家に逃げ帰ってしまった。自分でも何がどう恐ろしいのかさっぱり判らないが、とにかくその時はあの空間に居ること自体が苦痛であった。この、今なら逃げ出す事が出来るという意味不明な恐怖感、具体的な説明が出来ない。・・仕事に行けない・・。

 家に戻ってからは、とてつもなく強い罪悪感に襲われ、途中で自分が家に帰ってしまった今日の自分を、ものすごくダメな人間と思い、今度は昼間に家に居る事が苦痛になってきた。今からでも仕事に戻ろう!と鍼灸院に再び向かった。到着したのが確か14:00頃で、とにかく師匠に今回自分が仕事を欠勤した理由が自分でも判らないという事を告げると、怒られる事もなく、今日はもう帰りなさいと諭され帰宅。

 欠勤3日目 この日も4:40に起床。鍼灸院の前まで来るが、ここで昨日のような、仕事が始まってしまうのが恐ろしいというような恐怖感に襲われ、また逃げるように帰宅。鍼灸院に電話するのも恐ろしくなっていた。携帯電話に師匠からと思われる電話が何度もかかってくるが、恐ろしくて出られない。師匠が恐ろしいのではなく、鍼灸院に関わる事が恐ろしいというような気持ちだった。現在も、これから先も何をすればいいのか全く判らなくなってしまい、自分の家に居るのも怖くなって、石川県に居る両親の元に向かった。車で3時間半程、親の住むマンションに着いてからは、何をするでもなく、ただ何か判らない恐怖に怯え、毛布にくるまって横になって過ごした。

 両親が帰宅し、久々に親子で食事をしながら色々と会話をして、少し恐怖が収まってきた。22:00頃になって、やっと携帯電話の留守番電話を確かめる勇気が出てきたので、留守録メッセージを聞いた。最初の2〜3件は案の定師匠からの電話、次が心配してくれた助手の先輩から、そしてその次がまた師匠からのメッセージ、してその内容が「あんた、もし明日来れないんやったら、もう二度と来んでええで。」と。

 この時、師匠から見放された事が何より恐怖だった。このまま見放されて鍼灸を勉強する機会を失えば自分は生きていけないと、そしてこの恐怖を拭うためには明日何が何でも出勤しなければと思い、すぐ車に乗り込んで京都に帰った。家に到着したのが2:30頃、鍼灸院に行く恐怖に打ち勝つために一睡もせず、そのまま朝を待って出勤した。JR塚本駅に着いた時、急に吐き気がして、駅のトイレで吐いた。未だ自分でも意味が判らなかったが号泣しながら吐いていた。

 嘔吐が治まると気分が少し楽になり、鍼灸院に入る事が出来て、逃げ出したい気持ちに何とか勝てた。何とか仕事をする事から逃げ出したい気持ちに負けなくなったが、治った訳ではなかった。

 この後、この症状で欠勤することは無かったが、朝起きるのが以前よりも相当にきつくなり、2〜3週間程は毎日歯をくいしばって泣きながら出勤した。仕事が始まってしまえば、どうって事ないのだが、とにかく朝は毎日絶望的な気分と恐怖のようなものに相当苦しめられたし、何が悲しくて泣いていたのかさえ未だにあまりわからない 。詳細な心境を具体的に書き記したいのだが、自分でも状況を把握出来ていない状態なので、なかなか出来ないのだが、いつか解明したい。それが、うつ病というものの症状だと言ってしまえば、それだけになってしまう。


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