とある患者さんの、歯の痛みの治療の症例です。最初に断っておきますが、私の鍼治療では虫歯は治りません。
以前から痛かった右下の奥歯の腫れによる痛み。パチンコで久々に買ったのでその資金で歯医者に行って、神経を2本抜くという大掛かりな処置を受けたとの事。(たしか虫歯だか歯槽膿漏だかは分からないが、ズキズキ疼いて少し頬も腫れていたと記憶していました。)神経を抜いたのなら痛みを感じない筈なのに、そこが痛くて仕事に集中出来ないから、仕事を早めにきりあげて私の所へ治療に来るとの事。
主訴は歯痛でいいとしましょう。患者さんが要求しているのは当然、歯の痛みを止める事、欲を言えば痛みが再発しない事。”治療”は、痛み等の原因を除く事であり、傷害された部位を保護する事であ
り、健康な状態に復元する手段である事であります。何を訴えたいのかと言うと、”痛みが止まればいい”という漠然とした目標では、今回の歯医者さんのように患者さんの要求に答える事は出来ないという事です。一部スポーツ鍼灸を名乗る団体であったり、現代医学的鍼灸を名乗る勉強会であったりの所などは特にこの傾向が強いように思います。痛んでいる部位が解剖学的にここだから、その起始部だとか拮抗筋だとか、トリガーだとかに着目する訳ですが、それより大きくは診ない、視野が狭いが為に大事な所を完全に見逃している場合、ろくに治療もせずに安易にスポーツ中止だとか、患部固定という事をしてしまう。治療マニアやオタクではなく、治療家であるのならば、”治療”をするべきなんです。
患者さんが到着しました。
患者 26才 男性 フリーライター
主訴 右下奥歯の痛み
望診 身長160cm 体重60s。やや太めの体格。肌の色は黄色っぽい。治療を受けた右奥歯2本はまるでチェーンソーで水平断された切り株のように削られていた。一番奥の歯の歯茎だけが局所的にやや紫色に変色しており、麻酔注射の傷跡のようなものも見受けられる。
右下の奥歯の虫歯が1年以上前からあり、1年前位から虫歯による痛みがあり右奥歯で物を噛めなかった、水なんかがよく染みていたかったという。歯科には3日前と昨日の2回治療を受けているが、歯科の診断によれば、右奥歯、一番奥とその次の歯の2本の虫歯が相当進行しており、派手に削られてい
ました。治療の際麻酔の注射を歯茎に受けたが、いざ削る時になると痛みが残ってしまい、数本の麻酔注射を受けて、最後の1本はけっこう歯茎の奥に深く刺されて、やっと施術出来る状態になったとの事。
初回の治療後は、歯茎が腫れた感じがして、麻酔が切れた後に、虫歯の時とは違う性質の痛みが続いていた。昨日の治療の後もまた少し違う痛みがあったが、今はあまり腫れた感触は無い。神経を抜く処置を受けており、水が染みなくなったのはいいが、違う痛みが周期的に痛みが続いたり少し楽になったりという状態。
左右の頬を同時に触りながら反応を確かめるが、大きな左右差は触知されないが、わずかに右側の奥歯の場所周囲と、オトガイ、前頚部上方(アゴの周囲)までの範囲が少し腫れており、圧痛(押さえて痛い)もある。後頚部の天柱、風池あたり〜肩井あたりは右側の奥がよく張っており、指で押さえると、「アイタタタ!」という感じ。「おっかしーなー、今日は左ばっかり肩こり気になってたんだ
けど、右が痛いや・・」との事。
背部は特に右肝兪(背中のツボ)あたりが特に反応著明。押さえると「あいたた!痛いよもう。」別に強く押さえているのではなく、健康なら何とも思わない強さで押さえてます。季肋部(みぞおちの所)がすごく張っている。特に右がパーンと固くなっており、少し押さえるだけで「苦しい苦しい」左鼠頚部もちょっとグっと押さえると、刺すような痛みがあるが、右は大丈夫。
歯が痛くて、背中や鼠頚部の痛みを何故確認するのか?という疑問があるかもしれませんが、身体全体の状況を把握出来て初めて治療出来るのが東洋医学というものです。落ち着きが無いとかそういった情報は治療に反映されます。心身一如の医学としての治療であるが故の事実として反映されます。
上記の情報のみではまだまだ判断材料に欠ける部分が多すぎるのですが、患者さんの身体の全体像をしっかりイメージして、患者さんの痛みが自分に伝わってくるほどまでとことん掘り下げる事が東洋医学では要求されると思います。
主訴と直接関連の無い痛みを確認する事は非常に重要で、鍼1本を打った後にそれらの痛みに変化があれば、その1本の鍼は効果があったと確認、評価出来る訳で、それをしなければムダに患者さんの身体を傷つけ、治療は進まないばかりか、施術側も成長する要素を欠く事になります。
全身の状態を考えると、どうも右側に症状が偏っている印象があります。問診の中で、いつも左の肩がよく凝るのに右側の方がより凝っていたという点も気になります。季肋部の張りも右、肝兪(背中のツボ)の張りも右。歯の痛みも右。ここまで綺麗に偏っているのはただの偶然だとは思えないと考えました。下記が理由です。
病気になったというのは、身体がどうなった状態であるのか考えると、病人と健康人との境界線が非常に不明瞭である事に気付きます。極端な例ですが、胃ガンの初期は無症状である場合も多いです。本人は健康であると思っていますが、医師から診れば病人です。 風邪を引いてしまった時、それも悪化した場合にその人を苦しめる苦痛は一言で言えば”カゼ症状”とかそんなモンでしょう。でも大きく分けてもけっこう多くの症状が同時に起きて、患者さんの”カゼ症状”を構成しています。分かり易い所から選べば、鼻の症状、喉の症状、発熱があれば全身倦怠、頭痛、吐き気やら食欲不振、便にも異常があるかも知れず、腹痛、胃の不快感などなど。カゼ症状を起こす原因となっているウイルスによる全身の免疫反応である炎症が主な原因ですが、ウイルス→”何か”→カゼ症状出現と順番を必ず踏んでいます。
ここで、”何か”が非常に複雑な回路のようになって頭痛やら鼻症状やら吐き気等に到達しています。細分化すればもうグチャグチャに絡み合って、膨大なデータ量になりますが、この中で治療に必要なレベルでの回路解読を行い、全てが大まかにでも一つに繋がれば、病態を掌握した事(治療可能なレベルでですが)になります。
何故わざわざカゼを凡例に話題を持っていったかと言えば、まず一つの公式を理解する事により、カゼ以外の疾患を当てはめて同じように考えて行けば、一見原因不明な疾患でも正体を暴露する事が、情報さえ多ければ理論上可能になり、漠然と考えるより格段に良い結果が得られるのではないかという方法論を述べる為のものであったからなのです。
身体全体の生命力を真に強化して、歯の痛みも減弱あるいは消失すれば治療は成功と言えます。そこに持っていく為の治療。”神経が抜けてあるのにそこが痛い”これが主訴なのですが、問題発生してし
まってますが、それはこの言葉を鵜呑みにすればの話です。神経を抜く前と抜いた後、患者さん曰く「痛みはずっとある」という事ですが、厳密に言って本当に全く同じ場所で同じ性状で同じ強さの痛みなのかという所を突くと、意外とそうでない場合がもうほとんど全てだったりします。患者さんの問診の所に記載されてある”水が染みなくなった”という部分は、患者さんが自発的に言ったのではなく、問診でそこを追及して初めて発せられた言葉なんです。以前に五十肩の話をした時に、患者さんの訴えを「ふーん。」と思って適当に捉えると肝心な情報を逃して失敗すると記述しましたが、それと同じです。問診の中でその追及行為が多く行われている(当たり前のようで逃しやすい)訳です。
何だかんだ言いながら、足先、手先の3箇所に接触鍼をして患者さんに、鍼治療後の現時点での身体の状態を確認してもらうべく、起き上がってもらい、肩やら腰やらを動かしてもらうと、「うん、肩とか背中が動かしやすいよ。」との事。腹診で最初に確認した鼠経部の圧痛も減少していましたので一応、本治法は終了。
歯の痛みについて聞いてみると、「やっぱり痛い。」と。もう一度仰臥位(仰向け)になってもらい、右頬の状態を確認しながら経絡(ツボの流れ)に沿って反応が出ていないかどうかを確認しました。右の商陽穴(人差し指の先)を押さえながら、患者さんに噛む動きをしてもらうと、「あ!ちょっと痛みが楽!」さあ来た!、商陽穴の取穴をさらに慎重に行って、もう一度噛んでもらうと、「ほとんど痛くない!」ビンゴです。ツボ探しは、ミリ単位よりも細かい点を見つけるというけっこう細かい作業なんです。
施術して、噛み合せの動きをまたやってもらうと、「ほとんど痛くないよ」との事。頬を左右触診してみますと、やはり揃いつつありました。肩や背中の張り、歯の痛みが楽になって一安心。
さて、最初の疑問に戻ってみまして”神経を抜いたのに歯が痛かった”何故でしょうか、答えは歯医者さんで受けた治療の中にあるのですが、一体何でしょう?
それは、”歯医者さんで受けた麻酔の注射”なのです。どういった事かと言えば、なかなか効かなかった麻酔の注射、歯科医は何とか歯茎の奥に麻酔効果を与えようと何本も患部を太い注射針でブスブス繰り返し刺しています。この注射針によるひどい外傷、これが歯痛と混ざって複雑な苦痛として患者さ
んに影響を与えていたのでした。ですから、以前の痛みが取れても、麻酔が切れれば外傷の痛みが出現し、患者さんからすれば「痛いまま」であった訳です。
痛み苦痛の本当の原因は、実際どこにあるか見つけ出すのは簡単なようでかなり難しいです。探し出すのに困難を極める場合もありますし、見つけた物がもうどうしようもない状態だったなんて事もありますが、だからといって何もしないのは治療を放棄する事と同じです。
軟骨が擦り減ってるとか、変形しているとか、老化だという決り文句で患者さんに治療放棄を迫る医師・治療家は非常に多いので、どうぞお気をつけて下さい。
*この症例は、鍼灸師の高木がまだ20歳代の頃のもので、患者さんの言葉遣いが妙に馴れ馴れしいのは、彼が高木の高校生時代のクラスメートだからです。今振り返りますと、治療スタイル・考えが若いなあ、と我ながら思います。
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